はじめに
資産売却で延命する毎日新聞。その経営を支える聖教新聞マネーと「鶴タブー」の正体。
本日は、毎日新聞社と、創価学会およびその機関紙である聖教新聞との間に存在する、数十年にわたる深く複雑な関係、『トライアングル関係』の深層に迫ります。
なぜこの関係が生まれ、報道にどのような影響を与えているのか。その知られざる裏側を、歴史を遡りながら解き明かしていきます。
第1章 印刷をめぐる長年の関係
毎日新聞系列の東日印刷が1955年から聖教新聞の印刷を開始して以降、65年以上続く印刷パートナーシップは今日まで続いています。
- 1955年から東日印刷で聖教新聞の印刷を開始
- 北海道・青森・福島・群馬など、全国規模で毎日新聞グループ工場が受託
- 聖教新聞は公称550万部、膨大な発行部数を支えるために毎日新聞のインフラは不可欠
聖教新聞が自前工場を持たなかった理由
公称550万部という巨大な発行部数を誇りながらも、聖教新聞社は自前の印刷工場を持たずに外注する戦略を選びました。
創価学会広報室はその理由を「全国への配送スピードや経済効率の点で優れており、メリットが大きい」と説明しています。具体的には以下の二点です。
- 経済効率性
大規模輪転機の導入や拠点設置には数十億円単位の初期投資が必要で、維持費も膨大です。新聞社の既存インフラを利用することで、このリスクを回避し効率的に発行体制を整備しました。 - 全国配送のスピード
東京に工場を一つ設けても、北海道や九州の読者に朝刊を届けるのは困難です。そのため全国各地の新聞社の印刷拠点を活用し、地域ごとに同時印刷する「分散印刷」で配送時間を大幅に短縮しました。
この選択は単なる合理化にとどまらず、読売・朝日・毎日・地方紙といった主要メディアとの幅広い経済的結びつきを生み出し、後に第3章で詳述する「鶴タブー」と呼ばれる忖度構造を生む土壌ともなりました。
このように、毎日新聞と創価学会は65年以上にわたる安定した商業契約で結ばれてきました。
第2章 単なる商業契約を超える「特別な関係」
- 出版面:毎日新聞出版が池田大作氏の著作を刊行
- 紙面掲載:2009年、毎日新聞本紙に池田大作氏の寄稿記事が掲載され物議を醸す(報道用の紙面を特定宗教指導者に提供するという全社的な判断であり、編集独立性の観点から大きな問題とされました)
- 経営依存:印刷受注は毎日新聞にとって「救世主」とまで言われる収益源
印刷受託を超えて、出版から寄稿まで、編集領域に及ぶ関係性となったことが「蜜月関係」と呼ばれる所以です。
第3章 忖度と「鶴タブー」
過去
- 1970年の「言論出版妨害事件」では、朝日・読売・毎日が公明党を厳しく批判する社説を掲載
- 当時は新聞の収益基盤が強固で、経済的依存が少なかったため批判が可能だったのです。
※言論出版妨害事件:創価学会や公明党が、批判的な出版物全般に対して圧力をかけたとされる事件。
現在
- 全国紙記者「批判記事など書けるはずもない」と証言
- 川崎泰資氏(元NHK記者で椙山女学園大学教授を務めたメディア研究者)「営業の自由を優先、メディアの腐敗」と批判
- 「鶴タブー」:創価学会や公明党に対する批判報道を自主的に控える傾向を指す言葉。創価学会が属していた日蓮正宗の家紋「鶴」に由来し、メディア関係者の間で1970年代から語られてきた。経済的依存の強まりとともに、この自己規制は現在も続いているとされる。
→ 結論:1970年代には批判的報道が可能だったが、現在は忖度が常態化している。
第4章 崩れた場合のリスク
もし創価学会が印刷委託を打ち切れば、東日印刷を中心とする毎日新聞グループの印刷売上が大きく減少し、結果として毎日新聞本体の連結売上や経営状況にも直結した打撃となります。
現在の同社は、本業赤字を資産売却で補う日々が続き、どうにか資金繰りを維持している状況にあります。聖教新聞の印刷は主に東日印刷などグループ会社を経由する形だと推測されますが、その収益は最終的に毎日新聞グループ全体を支える構造にあります。
こうした中で、聖教新聞からの受注は「もはやぞんざいに扱えない大口顧客」であり、「経営の生命線」とも言える存在です。部数減に苦しむ新聞社にとっての『救世主』を失うことは、経営に直結する深刻なリスクとなるのです。
結論
毎日新聞と創価学会の関係は、
- 長期的な印刷委託による経済的依存
- 出版・紙面掲載にまで及ぶ編集上の関与
- そして報道の「忖度」や「鶴タブー」を生む土壌
という三重の意味で「蜜月関係」と言えます。
この構造は、新聞社の経営危機と宗教団体の影響力が交錯する、日本のジャーナリズムにとって最大級の矛盾を映し出しています。
最終的に残る問題は明確です。経済的依存を強める中で、毎日新聞を含むメディアは本当に権力を監視し、民主主義に不可欠な「言論の自由」を守り抜くことができるのか。
読者にとっても、これは単なる一企業の問題ではなく、日本社会全体の健全性に直結する重大な課題なのです。

