はじめに
なぜ「押し紙ってニュースにならないのだろう?」「新聞以外でも全くニュースにならないな・・・」と思っている方が多いと思います。
確かにマスメディアで「押し紙」がニュースになることはありません。「押し紙」の情報が見れるのは、一部の週刊誌と、SNSを中心とする個人発信のメディアのみです。

なぜ、「押し紙」のような大きな問題が報道されないのでしょうか?
本記事では「押し紙問題」そのものの詳細には踏み込まず、なぜこの問題が報道されないのかという“沈黙の構造”に焦点を絞って解説します。
1. なぜ新聞社は報道しないのか?
新聞社は他社の不祥事やスキャンダルを厳しく追及する一方で、自らの不正には一切触れないという自己矛盾を抱えています。
押し紙問題は単なる不祥事ではなく、広告収入と経営基盤を直撃する致命的な問題であるため、報じること自体が企業としての自殺行為になりかねません。
加えて、読売・朝日・毎日など大手紙すべてに押し紙の歴史があるため、互いに触れない“暗黙の了解”が業界全体に蔓延しています。
報じれば、自社も傷を負う。つまり、“報じた方が負け”という共犯的な構造があるのです。
2. テレビ局はなぜ沈黙しているのか?
テレビ局は本来、新聞社とは別媒体であり、独立して報道できる立場にあります。しかし、日本ではテレビ局と新聞社の間に強い資本・系列関係があります。
- 日本テレビ(読売系)
- テレビ朝日(朝日新聞系)
- TBS(毎日新聞系)
- フジテレビ(産経新聞系)
このような系列構造のもと、テレビ局が系列新聞社の不正を報道することは“自爆”に等しく、事実上不可能になっています。
また、人的交流や共同事業などの関係もあり、批判を自制する“自主規制”が強く働いているのが現実です。
3. ラジオ局も“共犯的沈黙”を守る理由
押し紙問題に対して、新聞と直接的な関係が薄いように見えるラジオ局も、意外な形で沈黙の構造に加担しています。
実際には、TBSラジオとTBSテレビ、ニッポン放送とフジテレビのように、テレビ局とラジオ局が新聞社を頂点としたメディアグループの中で密接に結びついており、新聞社とラジオ局の関係はテレビとの系列構造の延長線上にあると言えます。
グループ内での情報やコンテンツの共有、共同キャンペーン、報道ラインのすり合わせといった日常的な連携が存在する為に、新聞社との関係を壊すことは現実的ではありません。
例えば、新聞社主催のイベントや出版物のPRをラジオで取り上げる機会は多く、それらのビジネス連携を壊さないために「報じない」という選択がなされている可能性があるのです。
- 番組制作に新聞社の編集者や記者が関わっているケース
- グループ会社として新聞社と連携する経営体制
- 報道局の構成員が同じ系列内でローテーションしている現実
これらの要素が重なることで、ラジオ局もまた“共犯的沈黙”の一角を担う存在となっているのです。
新聞・テレビ・ラジオがグループ内で密接に連動する構造の中で、一社が黙れば他社も黙るという“連鎖型の沈黙”が強化される仕組みができあがっていると言えます。
4. “魔のトライアングル”が成立している
この構造は、まさに以下の3者によって支えられた“魔のトライアングル”です:
- 新聞社(問題の加害者)
- テレビ局(系列・資本関係からの沈黙)
- ラジオ局(グループ関係・連携事業からの沈黙)
さらに補足すべきなのは、日本の報道現場における“記者クラブ制度”という既得権益構造”の存在です。
政治記者や経済記者などは、各省庁や大企業との関係を維持する必要があり、新聞社やテレビ局との利害が一致しているため、押し紙問題のようなセンシティブなテーマには踏み込めないのです。
記者クラブに所属することで得られる“特権的な情報アクセス”が、記者自身のキャリアにとって重要である以上、あえて対立するような報道を避ける傾向があることは想像できます。
この三角関係と報道利権がある限り、押し紙問題が公に取り上げられることはほぼありません。

つまり!外部からのプレッシャーが無い限り、業界内からの自己浄化は極めて困難な状況なのです。
5. ではなぜSNSや週刊誌では報じられるのか?
ネット上や一部週刊誌では、押し紙問題が比較的自由に報道されています。これは、
- 既存メディアの“しがらみ”を持たない
- 広告収入に依存していない(あるいは比率が低い)
- ジャーナリズム精神が生きている
といった理由が考えられます。
匿名性の高い掲示板やコメント欄では、現役販売店関係者と思われる内部の声が共有されることもあり、こうした情報が蓄積されることで“既存メディアが伝えない真実”として徐々に浸透し始めています。
今や「報道の自由」が残っているのはネット空間だけと言っても過言ではありません。
このような状況が、今の若い世代を中心に「オールドメディアは真の報道機関ではない」「真実はSNSの中にある」といった認識を生み出す一因になっています。
そして皮肉なことに、その風潮を生み出している最大の要因は、既存メディア自らが沈黙するという選択を繰り返してきたことにあります。
「押し紙問題」は、その象徴的な一例と言えるのかもしれません。
6. 沈黙を破るには何が必要か?
この問題が真に明るみに出るためには、内部からではなく外部からの圧力が必要です。
- 裁判の公開と判例:販売店による訴訟が一つの突破口になります。過去の複数回の裁判は上記のような状況から、報じられることはありませんが、回数が増えればそうはならないでしょう。
- 内部告発:元新聞社社員や印刷業者による証言と証拠提供。SNS等での掲載。
- 海外メディアの取材:BBCやNYTなどが取り上げれば国内も動きやすい
過去には、販売店が読売新聞社を相手に「押し紙の被害」を訴え、数千万円の支払い命令が下された判決も存在します(例:大阪地裁 2020年3月)
こうした判決がもっと社会に共有されることで、読者や広告主の意識が変わってくる可能性は十分あります。
さらに今後は、「広告主への公開質問状」や「不買運動」など、生活者による平和的なアクションが求められる時代に入っているのかもしれません。
“知らなかった”では済まされない時代が、すでに始まっているのです。
おわりに
押し紙問題は、単なる業界の不正ではなく、報道機関としての信頼・倫理・使命そのものが問われる問題です。そしてそれは、私たちの“知る権利”や“報道の自由”に直結しています。
この構造を放置する限り、日本のメディアは信頼を失い続けることは間違いありません。

