はじめに:裁判所は「押し紙」をどう見てきたのか?
新聞販売店に対する「押し紙」問題が司法の場で争われ始めたのは比較的最近のことです。
特に2020年以降、佐賀新聞や読売新聞をめぐる訴訟が注目を集めました。
しかし、新聞社自身やテレビ局は系列関係もあり、この問題を大きく報じることはありません。話題化は主に週刊誌やSNSに限定されてきました。
本記事では、実際の主要裁判例を整理し、司法がどのような判断を示してきたのかを解説します。
佐賀新聞事件(2020年)——地裁が認定した「強制性」
元販売店主が、長年にわたる押し紙の強制を訴えた裁判。必要配達数2,500部に対し、常に500部超の余剰が課されていたと主張しました。
佐賀地裁の判断(2020年5月15日)
- 独禁法違反(優越的地位の濫用)を認定
- 約1,070万円の損害賠償を命じる
- 直接証拠がなくても、状況証拠から強制性を推認
- 一斉減紙でも配達に支障なし → 過剰供給の証拠
- 「予備紙」は通常2%程度が妥当 → 実際は大幅超過
損益相殺の考え方
- 損害:約2,100万円(過剰部数の代金)
- 利益:約1,130万円(余剰分の折込収入)
- 差引き約970万円が確定
👉 判決は「押し紙の存在」を事実上認めつつ、販売店が広告主に対して“共犯”の立場も持ちうる構造を示しました。
佐賀地裁の要約!
- 「押し紙」による損害:新聞社から過剰に供給された部数(=押し紙)によって、販売店側は 約2,100万円の負担 を強いられたと認定。
- 「押し紙」で得た利益:余剰部数を活用した折込広告収入で 約1,130万円を得ていた。これは“押し紙”が利益源にもなっていたことを意味する。
- 差し引きで認定された損害額:最終的に 差額の約970万円 を販売店の損害と認定し、新聞社に対して賠償を命じた。
読売新聞事件(2023〜2024年)——司法判断の揺れ
販売店が読売新聞を訴えた裁判では、地裁と高裁で真逆の結論が下されました。
第1審:大阪地裁(2023年)
- 「新聞特殊指定」違反を認定
- しかし販売店主の損害賠償請求は棄却
- 理由:販売店主が残紙の状況を承知で事業を継承しており、“受け入れた”とみなされた
第2審:大阪高裁(2024年)
- 過剰部数の存在自体は認める
- しかし「強制性」を否定し、販売店が黙認・同意した積み紙と判断
- 結果:独禁法違反の認定を取り消し、原告敗訴
👉 判決は「押し紙は存在した」ことを前提としつつも、販売店の態度や同意の有無によって判断が大きく分かれたのです。
その他の事例:毎日・産経・西日本新聞
- 毎日新聞(2020年前後):押し紙率4〜7割を主張する訴えは棄却。強制の証拠不十分とされた。
- 産経新聞(2021年):裁判官交代で流れが一変、原告全面敗訴。
- 西日本新聞(年不詳):複数回訴訟があったが、いずれも「販売店の自主的判断」と認定され敗訴。
判決が揺れる理由
各判決の違いを生む要因を整理すると以下の様になります。
- 状況証拠重視 vs 形式主義:佐賀地裁は実態を重視、読売高裁は契約上の同意を重視
- 裁判官の哲学や交代:産経新聞事件では裁判官交代が結果を左右
- 折込収入との関係:販売店が得た利益が相殺要因となり、損害が認められにくい
まとめ:裁判から得られる2つの重要な教訓
「押し紙」の存在そのものは否定されていません。しかし、司法判断は一枚岩ではありません。
強制性をどう認定するかで結果は分かれます。司法判断は揺れており、販売店の態度・証拠の有無・裁判官の視点次第で勝敗が変わるのが現実です。
1. 裁判を通せば「押し紙の存在」自体は認定されやすい
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判決文の多くは、「過剰供給」「一斉減紙でも配達に支障なし」「予備紙の割合が異常に多い」などをもとに、押し紙の存在自体を事実上認定しています。
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特に佐賀地裁のように、状況証拠から“黙示的強制”を推認するケースもあり、全面否定されることは稀です。
2. しかし、販売店にも“共犯性”が問われるリスクがある
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押し紙を受け取ることで折込収入など一定の利益を得ていた場合、「損益相殺」の論理が適用されます。
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結果として、「新聞社だけが悪い」とはなりにくく、販売店も“構造の一部”と見なされる傾向が強いのが現状です。
✅ 裁判に向けた現実的な教訓
“押し紙があった”だけでは勝てない。
販売店が“共犯でなかった”ことを立証する準備が必要。
つまり:
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長年押し紙を受け入れていた場合でも、拒否の意思を示していた履歴(FAXやメールの記録など)や、
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不本意な仕入れで経営が悪化した事実(帳簿や収支)、
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新聞社からの圧力を示す証言や資料
など、「強制された証拠」や「拒否の努力」をあらかじめ準備しておくことが、裁判で販売店側の信頼性を高める鍵になります。
➡️ 次回(第3話):なぜ司法判断はここまで分かれるのか?——証拠・哲学・制度の壁へ
▶第3話:なぜ司法判断はここまで分かれるのか?・・・証拠・哲学・制度の壁へ!

