毎日新聞の論説委員が、テレビで「押し紙」を絶対に語らない本当の理由

毎日新聞を深堀り

—「社会の公器」を自認する人々の、奇妙な沈黙を読み解く

1. なぜ、テレビのコメンテーターは「毎日新聞」ばかりなのか

ニュース番組やワイドショーを眺めていると、毎日新聞の論説委員(またはOB)の多さに気づくはずです。

他紙に比べて穏やかで、人権や弱者救済を語る彼らのトーンは、番組制作側にとって極めて「扱いやすい」存在です。これには明確な背景があります。

  • TBSとの深い血縁:毎日新聞はTBSの母体であり、長年にわたる人的交流があります。

  • リベラルで柔らかな論調:朝日ほど先鋭化せず、読売ほど保守的ではない「中道リベラル」の立ち位置が、視聴者の共感を得やすい。

しかし、そんな「お茶の間の良心」とも言える彼らが、画面越しに絶対に口にしない禁句があります。それが自社の存立基盤を揺るがす「押し紙問題」です。

2. 「正義の二重構造」——他者の倫理、自社のタブー

毎日新聞の論説委員は、政治家の不透明な政治資金や、企業の隠蔽体質を鋭く批判します。

しかし、自社が「実売のない部数で広告費を得ている(押し紙)」という疑惑については、一言も触れません。

  • 政治家には「説明責任」を求めながら、自社の「公表部数」の根拠は説明しない。

  • 企業には「コンプライアンス」を説きながら、自社の「独禁法違反(押し紙)」には目をつむる。

この徹底した「正義の使い分け」こそが、視聴者が感じる言いようのない違和感の正体です。

3. 「縦割りの壁」という免罪符

彼らが沈黙を守れる論理的根拠は、社内の「組織的分離」が考えられます。論説委員は言論のプロであり、販売や経営の実務には関与しません。「押し紙は販売局の問題であり、私の預かり知らぬことだ」という論理です。

しかし、2026年現在の環境意識下において、配達もされず廃棄される大量の新聞を「自分の専門外だから」と無視し続けることは、果たして知的な誠実さと言えるでしょうか。自社のビジネスモデルに目をつぶって語られる「人権」や「環境」は、もはや砂上の楼閣でしかありません。

4. 「沈黙」は保身か、それとも愛社精神か

論説委員が押し紙を語らないのは、単なる自己防衛だけではありません。そこには「沈黙という名の共犯関係」が存在します。

  1. キャリアの防衛:公の場で触れれば、社内での立場を失い、テレビの出演に大きな影響が出るかもしれません。

  2. 組織への忠誠心:「これを言えば会社が潰れるかもしれない」という恐怖。長年苦楽を共にした同僚や後輩を路頭に迷わせたくないという、「優しさ」が沈黙を強いているかもしれません。

彼らは、「会社の存続」と「報道の真実」を天秤にかけ、前者のために後者を黙殺しているのです。

5. 結論:新聞社の「良心」の現在地

「押し紙」はもはや単なる販売手法の議論ではなく、報道機関の「魂のありか」を問う問題です。

他者の不正を糾弾するその声が、自社の闇を隠すためのノイズになっていないか。テレビのライトを浴びて語る論説委員たちが、いつか「自社の不都合な真実」を直視し、自ら筆を執る日は来るのでしょうか。

近い将来、「押し紙」が公になった時に、知らなかった。では済まされないということに気づいていないのかもしれません。

関連記事:

「押し紙」問題の裁判記録のシリーズです。「押し紙」をめぐる裁判の全てが分かります。
👉新聞社「押し紙裁判」全解説|全6話まとめページ【録音テープ・高裁判決も収録】

「押し紙」により、毎日破棄される新聞紙の行方を検証しています。
👉押し紙の「紙」の行方。~毎日大量に発生する廃棄新聞はどこへ行くのか?

当ブログ「新聞業界の闇:押し紙問題シリーズ」の全体像を俯瞰するプロローグです。
👉【導入編】なぜ押し紙はなくならないのか?新聞業界を蝕む“不都合な共依存”の正体