なぜ今なのか? 1500億円だった場合の「真水」を試算する
2025年4月、メディア業界と不動産業界で大きなニュースがありました。「毎日新聞GHDがパレスサイドビルの再開発・売却を検討」というニュースです。ご存知の方も多いでしょう。
昭和の名建築として名高いこのビルを手放すことは、単なる資産の入れ替えではありません。
創業以来守り続けてきた“聖域”に手をつけざるを得なくなった・・・そう言っても過言ではないほどの深刻な判断です。
今回は、なぜ「今」売却なのか? そして、報道される1,500億〜2,000億円という金額のうち、実際に会社に残る「真水(現金)」はいくらなのか?
「買い手に足元を見られた場合」の厳しい現実も含めてシミュレーションしてみます。
1. 「なぜ今なのか?」 偶然ではない3つのトリガー
このタイミングでの売却検討には、3つの「不可避な理由」が想像できます。
金利上昇リスクからの「逃げ切り」判断:
都心の不動産価格は依然として上昇基調にあり、「まだ上がる(まだ天井ではない)」という強気な見方もあります。しかし、日銀の利上げ観測など、市況の潮目が変わるリスク(不確実性)も高まっています。
体力のある投資家ならホールドし続けることも可能ですが、財務基盤の弱い毎日新聞社にとって、万が一の市況反転は致命傷になりかねません。「最高値で売る」ことよりも、「高値圏にある今のうちに、確実に現金を確保する(利益確定)」というリスク回避の判断が働いていると想像できます。
限界を迎えた「築60年」の維持コスト:
1966年竣工のパレスサイドビルは、配管・空調・電気設備・耐震補強など主要インフラが一斉に寿命を迎える“限界期”にあり、現状維持だけでも莫大な費用が発生します。
こうした設備更新や安全対策には毎年数十億円規模の費用が必要になるとされ、築60年級の大型ビルを抱えること自体が、経営に重い負担としてのしかかっています。
本業の「止血」が間に合わない:
決算公告では、売上高1270億円規模(2024年)にもかかわらず営業赤字・最終赤字体質が続き、資産を売却しないと黒字化できない状況です。
事業収益で財務を立て直すのはもはや困難であり、バランスシートを改善できる“最後の切り札”として本社ビル売却に踏み切る”と検討するのは自然です。
2. そもそも「自力での建て替え」は100%不可能
読者の中には「そんなに良い場所なら、売らずに自分で建て替えて、大家業を続ければいいのに」と思う方もいるかもしれません。
しかし、金融・不動産実務の視点で見ると、毎日新聞社による自力再建は「逆立ちしても不可能」な状態です。売却(デベロッパーへの譲渡)以外に道はありません。その理由は、下記の3点に集約できます。
① 「年商=借金」の壁(融資不可):
パレスサイドビル級の規模を、昨今の建築費高騰下で建て替えるには、解体費を含めて500億〜1,000億円規模(※)の資金が必要でしょう。
連結売上が約1,200億円、かつ赤字体質の企業に対し、銀行がその年商に匹敵する巨額融資を行うことは考えられません。返済原資がないからです。
(※)パレスサイドビル級の延床約12万㎡のオフィスビルを、昨今の建築費高騰下で同規模に建て替えるとなれば、オフィスビルの坪単価相場(80〜160万円/坪前後)や東京の建設単価(約40万円/㎡超)から見ても、本体工事だけで300〜600億円規模のコストが発生します。既存ビルの解体費や設計・周辺工事、予備費まで含めれば、総額で少なくとも500億円、多ければ1,000億円規模の資金が必要になる計算です。
② デベロッパー能力の欠如:
ビル経営は「建てて終わり」ではありません。1,000億円の投資を回収するには、一流企業を高額賃料で誘致し続ける必要があります。
プロの三菱地所や三井不動産ならまだしも、ノウハウのない毎日新聞が自力でやれば、テナントが集まらず「巨大な空室(ゴーストビル)」を抱えて倒産するのがオチです。
つまり、今回の動きは、資金欲しさに「売り時を探っている」だけではなく、「自力ではもうどうにもならないので、他人の資本を入れるしかない」という必然の動きでもあるのです。
2. 独自試算:希望額(2000億)と現実(1500億)の天国と地獄
報道では「事業規模1500億〜2000億円」と幅を持たせていますが、毎日新聞社としては上限の2,000億円が「必須目標」でしょう。
しかし、購入するデベロッパー側は、毎日新聞が「喉から手が出るほど現金が欲しい(売り急いでいる)」ことを知っています。当然、足元を見て下限の金額を提示してくる可能性が高いです。
では、上限(希望)と下限(現実)で、手残りのキャッシュにどれほどの差が出るのか試算します。
毎日新聞の詳細な帳簿はOPENになっていません。下記試算はあくまで想像ですのでご容赦ください。しかし、築60年を考えた場合の残存簿価(1円)は、多くても数億円程度です。参考値としては充分耐えられる数値になっています。
パターンA:希望通り「2,000億円」で売れた場合(上限)
まず、毎日新聞社が目論むベストシナリオです。
| 項目 | 金額 | 備考 |
|---|---|---|
| A. 売却額 | 2,000億円 | 上限価格 |
| B. 諸経費 | ▲40億円 | 仲介手数料など(約2%) |
| C. 簿価 | ▲0円(または1円) | 耐用年数超過のため実務上はほぼゼロ |
| D. 課税対象益 | 1,960億円 | (A – B – C) |
| E. 法人税等 | ▲588億円 | 実効税率 約30% |
| F. 手残り現金 | 約1,372億円 | (A – B – E) |
約1,400億円のキャッシュが入ります。これなら借金を返済し、リストラ原資を確保しても、多少の未来投資ができるかもしれません。
パターンB:足元を見られ「1,500億円」になった場合(下限)
しかし、現実は厳しいかもしれません。もし下限で妥結したらどうなるでしょうか。
| 項目 | 金額 | 備考 |
|---|---|---|
| A. 売却額 | 1,500億円 | 下限価格 |
| B. 諸経費 | ▲30億円 | 仲介手数料など |
| C. 簿価 | ▲0円(または1円) | 耐用年数超過でほぼゼロ |
| D. 課税対象益 | 1,470億円 | (A – B – C) |
| E. 法人税等 | ▲441億円 | 実効税率 約30% |
| F. 手残り現金 | 約1,029億円 | (A – B – E) |
パターンAとの差額は約340億円。これは、毎日新聞が1年間かけて稼ぐ「販売収入ほぼ1年分」に相当する規模で、経営判断ひとつで生じる差としては極めて大きい金額です。
3. 結論:これは「勝利」ではなく「輸血」である
もし1,500億円での売却となれば、手元資金は約1,000億円前後。
この資金は、有利子負債の返済や人員再配置の費用で大半が吸い取られ、中長期の再建に振り向けられる余力は大きく目減りします。
「2,000億円で売れれば再生の扉が開くが、1,500億円では“延命”の域を出ない」。
両者の差を生むのは、実質300億円超という決定的な開きであり、企業にとってまさに“生死の境界線”といえます。
ただし、ここから先が本質です。同じ売却でも、資金の使い方次第で未来はまったく違う表情を見せる。のです。
過去には、そごうやダイエーなど多くの企業が、資産売却益を“穴埋め”に回し、構造改革を先送りした結果、危機を深めました。しかし逆に、売却資金を戦略投資・事業再編・収益の再構築に振り向けて再生した企業もあります。
つまり、売却を実施した時点では「勝利」でも「敗北」でもないのです。
これは、再生へ舵を切るための最後の“持ち時間”を買う行為にすぎません。
この資金をどう活かすのか—
ここからが、毎日新聞の未来を決める“本当の分岐点”なのです。
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どちらの金額で売れるにせよ、毎日新聞は「家賃ゼロの自社ビル」という最大の武器を失います。
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